公開の場をなくした設定と、一瞬書きかけた未来の話

何かあればと思って用意していた設定ですが、その機会もなさそうなので置いておきます。


瑛二と遥香の子

一人目:千堂和紗かずさ(女)

瑛二と遥香の結婚のきっかけになった子。ノットメンバーのなかではじめての赤子だったため、やたらお祝いやプレゼントに恵まれた。面倒見のいいお姉ちゃん肌な一方、ちょいちょい抜けてるタイプ。弟と瑛二のアホさ加減にうんざり気味で、稜に憧れている。(とか言うと瑛二がケッて顔をする。)一方で推しアイドルラヴ。遥香も一緒になって推している。

二人目:千堂茉尋まひろ(男)

和紗とは二個違い、悠李と同い年。やんちゃっ子でスポーツ全般得意。瑛二とアホな遊びをやらかしては遥香に怒られる。和紗には頭が上がらない。悠李とは学校は違うがスポーツクラブと塾が一緒。「悠李くんとお友達なんだよね?」「悠李くんにこれ渡して」等々言われまくっているためライバル視している。(けどぜんぜん相手にされていない)

瑛二&遥香

お子が加わってさらにどたばたしているものの仲はいい。瑛二はフォトグラファーとしての名もそこそこに売れてきて図に乗っているとか。

アビスは二人店長のまま。15時までどちらか、以降はノットの誰かがヘルプに入り、21時からまたどちらかが出勤するシフトの組み方をしている。


結衣子と稜の子

倉本悠李ゆうり(男)

緊縛師デビューして一年したころの子。予定はなかったが、ふとピルをやめたら授かった。

両親の関係者が国際色豊かゆえ、インターナショナルスクール在籍。

稜と料理することが多い。不在がちゆえにスキンシップ過多の結衣子をたまにうっとうしく思う。(でも好きは好き。)両親のいいところを存分に受け継いだお顔ゆえモテ散らかしている。

結衣子&稜

謎の盛り上がりを見せるという意味でステージを荒らしている売れっ子責め縄緊縛師と敏腕マネージャー。国内外問わず飛び回っていて忙しそうにしている。

8 Knotの二代目店長真琴が結婚することになり、三代目店長の任命を相談中。結衣子は女王様デビューしたカナ推しだが、稜はサポートが絶対必要と言う。

子どもたちの両親sの仕事の認識

瑛二の仕事=写真家
遥香の仕事=そのアシスタント
結衣子の仕事=舞台やる人
稜の仕事=そのマネージャー兼フリーライター


紡いだ真紅

 駅のホームを走った。目標は灰色のスウェット上下で逃げるニット帽の男。体育2だけど全力で追いかける。

 人の流れに逆行するせいで、スーツの肩に、バッグにぶつかり、舌打ちと香水や煙草や体臭が混ざったにおいといやそうな顔にさらされながら、わたしはなお追おうとしていた。そいつは再び電車に乗ろうとしたけど、次々と人を吐き出す勢いに負けてホームのさらに奥へ行った。その先の上への階段に向かうつもりだ。

 電車の発車ベルが鳴り響き、ホームドアが閉まる。

「ま、待ちな、さいよ……」

 追いつけない。わたしの足は遅く、人は多すぎた。逃げられる。あんな卑劣なことをしておいて、逃げるなんてほんとありえない。せっかく勇気を出したのに。

 わたしはとうとう立ち止まり、ぜえぜえ喘ぎながら膝に手をついて走り去る背を睨んだ。肩に提げたバッグがぶらんと落ちて、仕事道具が揺れる。

「待て痴漢! そこの灰色スウェット!」

 周りの目が一斉にわたしを向き、男に向いた。と思った瞬間その男がなにかに蹴つまずいた。

「うわぁっ!」

 声を上げ派手に前転してホームに転がる。発車します、とアナウンスが流れて電車がしゅーっと動き出す。遠巻きにする人の中、わたしは再び走る、というにはだいぶ遅い速度でそいつのもとへ近づいた。

 そのとき自販機の影から突然、着物の女性がゆらりと現れた。

 真紅一色の着物に生成り色の帯。切れかけの息が止まりそうなほど、凛としてしとやかだった。

 彼女が出てきたすぐそばに、レトロで大きなキャメル色のキャリーバッグが横たわっていた。きっとこれでつまずいたのだろう。男は今もぴくぴくするだけで動かない。

 うわぁ、痛そ……。

 思わず顔をしかめ、倒れたままの男を真横から窺った。そこへ彼女が追い打ちをかけるように、その男の腰を膝でしっかり押さえつけた。

 男が呻き、彼女は袂に手を入れる。そこから紐のようなものを取り出し、腕をひと振りした。

 袖がふわっ、とひらめく。地面を叩いたその紐は、蝶のストローのように長く伸びた。着物と同じ色をした、真紅の縄。

「いってーなふざけんな降りろっ、俺はなんもしてねえよ! あいつが勝手に言ってるだけだ、冤罪だよ冤罪!」

「往生際の悪い。やましいから逃げたんじゃないの?」

 彼女は澄んだ声で厳しく告げながら、その縄で、わたしの目の前で、男の手首をするするとまとめ上げた。

 新体操のロープ競技のように、縄はしゅるっと美しく空を切った。え、とわたしが声をもらす間に暴れる男の両手を縛り、バタつく足さえもその縄に絡め取る。腕と両足首をくくられた男はわずかにわたしを睨み、やがて、くそっと口汚く吐き捨てた。

 彼女が男のニット帽をむしり取り、ツンツンと尖った髪を掴み上げてわたしに見せる。右の頬には転んだときにできたであろう擦りむいた痕があった。

「いででででっ!」

「この男で間違いない?」

「いてぇっつってんだよ離せっ」

 眉を寄せて固く目をつぶり、男は本気で痛がっていた。だけどわたしは、その奥の彼女の顔のほうが気になってしまった。

 頬に影が落ちるほど長いまつ毛に、自然な山なりを描く眉。主張の強い大きな目。引き締まった真っ赤な唇。正体不明、年齢不詳の彼女に、わたしは首を縦に振るしかできなかった。

「絶対って言える?」

「トンネルに入った時、窓に映ってました」声が震える。「わた……、わたしの胸、さわる手。右手の中指に、指輪が」

 彼女の視線が男に落ちた。「そう」声とともに、それはすぐわたしに戻ってくる。

「よく頑張ったわね。追うのも声を出すのも勇気がいったでしょう。えらいわ」

 ずっと険しかった彼女の顔が、柔らかくなった。途端、わたしはじわ、と迫るものを感じた。

 怖かった。学生時代から痴漢は何度か遭ったけど、怖くていつもいつも泣き寝入りだった。悔しくて眠れない夜もあった。

 今度こそ、と勇気を出してみたのに、結局途中で後悔しかけた。野次馬の冷たい迷惑そうなたくさんの目が、じろじろと後ろ指をさすように見てくるのだ。それを、認めてもらえるなんて。

「あら、気が緩んじゃった?」

 彼女は男を放り出して、わたしの目の下にハンカチを当てた。布からも彼女からも、なんだか懐かしい香りがする。そのとき複数人の駆けつける足音が聞こえた。

「すみません、駅の者です」「痴漢騒ぎと聞き、ま――」「――あの、犯人、は……」

「そこ。転がってるでしょ」

 彼女が背後を顎で示す。三人の駅員さんはわたしたちを順々に見ながら、口をぽかんと開けていた。

「だからちょっと協力しただけって言ってるじゃない!」

 駅長室の事務机を、彼女はばん、と勢いよく叩いた。駅員さんたちと一緒にわたしもびくっと肩を跳ねさせる。彼女はふくれっ面で、不満そうに続けた。

「どうせ逮捕されたところで、執行猶予付きの短い刑期か少額の罰金で解放されるのよ。アメリカだったら被害者に銃殺されたっておかしくないのよ。あれはただの縄で、銃でも刃物でもないじゃない。この程度のお仕置きくらい許しなさいな」

「ですが過剰防衛ということにもなりかねませんし……」

「念の為、この用紙に名前と連絡先、あと身分証のご提示を……」

「んもぉ、いつまで経っても面倒ねえ、この国は」

 被害者のわたしや犯人より、駅員さんの関心は彼女にあるらしい。

 無理もない。犯人は転んだ時の怪我が複数あるうえ、縄で縛られている。あのあと足だけ解放された男は、手は縛られたまま、ここの別室に入れられた。

 助けてくれたのに、なんだか申し訳なくなって「すみません」と謝った。いいわいいわと彼女は用紙にペンを走らせた。そのあと彼女がばくっと開けた大きなキャリーバッグの中身に、また度肝を抜かれた。

 束になった赤い縄が三分の一ほど占めている。ハイヒールに鞭、鋲がついた団扇のようなものも見えた。わたしの口が、このキャリーのように開きっぱなしになる。

「帰国したばかりですぐ出るのパスポートしかないの。いいかしら」

 えんじ色のパスポートが駅員さんの手に渡る。海外帰りでこの荷物。彼女は一体――。

「ありがとうございます。あとなにか、名刺かなどはお持ちじゃないですか?」

「昔と違って持たなくなってね。自己紹介になるのはこれくらいだわ」

 彼女が机に、ひらっと一枚のチラシを滑らせた。赤い着物を着た女性が真剣な顔で、浴衣姿の女性を縛っているその上。『紅縛夜 緊縛師・結子』と書いてある。縄を操るのは、今目の前にいるこの、彼女だ。

「きん、ばく、し……」

 ぽとりとこぼれた声が彼女に届いたらしい。キャリーバッグを閉め、彼女は「ええ」とわたしたちに向き直った。

「緊縛師たるもの、縄の二、三本は着物に仕込んでいるものよ」

 そう告げて彼女は、妖艶に笑う。

 わたしはごくっ、と唾を飲んだ。彼女の姿から目を逸らせそうになかった。逆らうなんてとてもじゃないけどできない、支配的なまなざしだった。

「……っと、失礼。電話出てもいいかしら?」

 彼女が帯からスマホを出し耳に当てる。すると途端に彼女はきまり悪そうな顔になった。

「ごめんねリョウくん、今駅長室にいるの。……やだ、問題なんて起こしてないわ。ちょっと痴漢捕まえただけで……」

 威勢の良かった声は段々すぼまり、ついに彼女はわたしたちに背を向けた。電話を終えると、顔を振り返らせ小首を傾げる。「夫が迎えに来るわ。私、行っても構いません? この講演のための打ち合わせがあって」

「はい。何かあったらご連絡しますので、そのつもりでお願いします」

 表情がくるくる変わる。笑ったと思えば強い視線にもなるし、すまなそうな顔になった直後突然かわいらしくもなった。

 そんな人が、緊縛師。

 詳しいわけでもなんでもないけど、普通の行為じゃないことはわかる。そういう行為があることも知ってはいた。だけどこの人が、人を縛って、見せる、なんて。

「紬(つむぎ)ちゃん」

「ひゃいっ」

 いつの間にか隣に迫った彼女に名前を呼ばれ、背筋をしゃきっと伸ばした。なんで知って、と思ったけど、わたしも名前や連絡先を書いたのだった。

「痴漢の立件ってかなり面倒だから覚悟してね。長い事情聴取受けて前科つけることも、罪にはせず示談にすることもできるから、よーく考えて決めるのよ」

 事情聴取。示談。耳慣れない言葉が続いて急に現実を突きつけられた気分になった。捕まえたはいいけど、それで終わりじゃない。

「……はい」

 これからがあるんだ、と思うと肩がしぼんでいく。職場には連絡して許可はもらったけど、どうしようかとも思った。彼女はそんなわたしの憂いを知ってか知らずか、にこにことしていた。

「実はね、紬は私が師匠から受け継いだ舞台の衣装でもあるの。だから勝手に縁を感じちゃった。こんな出会いだけど、うれしくなっちゃう」

 また顔が変わった。彼女は本当に言葉通りに、うれしそうにする。わたしの心まで一瞬でふわっと軽くする。

 ココン、とドアが叩かれた。駅員さんがドアを開けに行くと、そこにはグレーのスーツをノーネクタイで着こなす長身の渋いイケメンが、かわいらしい男の子の手を引いて立っていた。

「あっ、リョウくん、ユーリ!」

 彼女がぱあっと顔を輝かせ、着物にもかかわらずドアへと駆け出す。

「指定の待ち合わせ場所にいないからどうしたかと思ったら。なに、痴漢? ユイコさんが遭ったわけじゃなくて?」

「そうなの。声と駆け足が聞こえたから、ちょーっとキャリーで足引っ掛けて、ちょーっと縄で縛って」

「うわ。絶対ちょっとで済んでないやつ……」

 呆れ返る旦那さんに、彼女はたじろいだ様子を見せた。わたしは立ち上がり、「あのっ、」と思い切って話しかける。

「ユイコさん、に、助けていただいたのは本当です。わたし一人じゃどうにもできなかったし。だから本当に、ありがとうございました」

 頭を下げ、もう一度彼を見る。彼は「災難だったね」と曖昧にほほ笑んだ。

「ママいいことしたの?」

「そうよー。なのにリョウくんはすーぐ疑って」

「むりもない」

「やだ、ユーリまでそんなこと言うの? ナマイキになってもぉ」

 彼女はくしゃくしゃに破顔させて、目線を合わせた男の子の頭を撫でた。そこだけ見たらごく普通の、どこにでもいそうな幸せな家族だ。っていうかこの人、ユイコさんが、ママ? さっきからツッコミが追いつかない。

 お騒がせしました。二人が折り目正しく頭を下げた。

「じゃあね、紬ちゃん」

 彼女はわたしに向かって軽やかに手を振り、彼がキャリーを、彼女が男の子の手を引いて去っていった。駅員さんの一人が「なんだったんだ……」と小声でこぼし、わたしも心の底から同意した。

「……じゃあ、ええと、宮郷(みやざと)紬さん」

「はい」

「今警察を呼んでいるから間もなく来ると思うけど、被害届を出すかどうか考えておいて」

 ふいに彼女、ユイコさんの、紬のことを語るうれしそうな顔が蘇る。

 紬。着物の種類のひとつ。しゃりっとした手触りが特徴の絹織物だ。大切なものをつむぎ出せるように、と名付けられたらしい。でも、大切なものって一体なんだろう。

 家族は大切だ。父、母、わたしの三人家族。去年からわたし一人東京で離れて暮らしているけど、大切なのに変わりない。友達もそう。大学出てからなかなか会えなくなったものの、定期的な連絡は欠かさない。仕事も大切。小さな出版社の営業で、好きな本を持っては書店を回るのは、骨は折れるけど楽しい。置いてもらえたとか売れたとか、わかりやすい達成感がある。なくなったら暮らしてもいけない。けれどたぶん名前に込められた『大切』は、そういうものじゃないのだろうと思う。

 彼女が名刺代わりと置いていったチラシを引き寄せた。縛られている女の人は、身も心もユイコさんに預けきっているような恍惚とした表情を浮かべている。よく見ると十一月十五日の十九時から、銀座でショーがあると書かれていた。

「すみません、これコピーもらえませんか?」

 ここに行けば、彼女に確実に会える。そう思ったら、口が勝手に告げていた。

Psychedelic Garden

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